Koji Memo(16) 2005年頭に思うこと

2005年が昨年来の世界中で起こる異常事象(自然現象および 人為現象)を引き継いだままスタートした。 日本にとっても 戦後60年という節目を向かえ、憲法の改正論議を含めまたしも 騒がしくなりそうな年である。昨年は多くの企業が業績の大幅な 回復を果たし、一見バルブ崩壊からの苦境を脱したかの印象を 与えたが、わが国の(社会的、経済的、財政的、政治的、倫理的 )根本的課題の多くは未解決のままである。 
年初の「日経ビジネス」に2015年の日本の姿の苦境のシナリオが 描かれていた。 多くの国民が血を流して耐えねばならない時が 刻一刻と近づいている。その忍耐を放棄すれば、まさに破局に 陥ることを警告している。 良識のある人達にはみな分かっている ことなのに、何故動かないのだ。 誰でも自分が可愛い、苦痛を 受けたくない。 今日(1/2)の正月番組で関口宏の戦後60年の 戦争をテーマにしたトーク番組をやっていた。元総理大臣を始め 多くの有識者が自己の考えを披露していた。それぞれに言っている ことはうなずけるし、それを批判するつもりはない。 共通して 言えるのは、憲法を守るにしても変えるにしても、世界に向けて 平和に対する強烈なメッセージを発することであろう。かっての Japan as No.1 と言われたような再び世界での経済大国を目指す ような愚かなビジョンを描かないとは思うが、「理念と理想」は 高く掲げたい。 愚直でも良い。 Koji Memo(15) で「ナイーブ な日本人」を称える文章を書いた。  先の「日経ビジネス」のシナリオに、緊急避難的措置として武器 輸出により金を稼ぐ策に触れていたが、これだけは承服しかねる。  
今年のある先輩からの年賀状に「衣食足りて、礼節を失う」という フレーズがあった。 最初の頃の Koji Memo で、こうした日本 の苦境を救うのはシニアの出番であり、「シニア1000万人で新たな 100兆円の経済圏を作ろう」と書いたことがあるが、その後「経済 圏」ではなくて、「文化圏」を作らねばならない、と思い直した。 「平成ルネサンス」と呼べる文化的、精神的革新を起こせないだ ろうか、という思いから30年ぶり位に昔読んだ世界史(河出書房 のシリーズ)のその頃の数巻を読み返した。 会田雄次の「ルネ サンス」は今読んでもその歴史観に敬服する。  100年後、200 年後の後世の人達が、あの頃のシニア達はこんな思いでこんな事 をしたんだ、と思い起こせるような何かを残せないか。  

おとそ気分で、またしても稚拙な文章で失礼しました。良いお年を お迎えください。2005-1-3 am2:20 Koji