Koji memo(9-1) テロ報道のありかたに異議

イラク人質事件の早期解決がなされたことは結構なことであるが、ここでテロ報道のマスコミのあり方に異議を唱えたい。
テロについての日本のマスコミの報道のしかたに大いに疑問がある。いかにもテロの片棒を担いでいるように思えてならない。テロの目的は、正規の力では戦えない弱者が、世の中に騒ぎを起こしてアピールすることが目的であることは周知の事実である。報道がまさにその騒ぎを助長し、国民を不安に陥れる策にまんまと乗せられている。 
今回も人質家族の常軌を逸したヒステリックな叫びを、何故報道しなければならないのか。 ましてや記者会見の場を設定して大々的にニュースで取り上げるなんて、もってのほかである。報道機関としての見識を疑う。
何年も前に、ある民放番組の女性キャスターが、テロニュースを伝えたあと、「怖いですね、何が起こるか不安ですねーー」 などと低次元な発言をしていて、唖然とした事がある。 事実のみを伝えて、絶対に許してはならない、ときっぱり言い切るだけでよい。 被害状況の生生しい映像や、被害者の家族の悲痛な叫びを報道すべきではない。報道の自由や知る権利とは、次元の異なる問題である。
今回は民放だけではなくて、NHKまでもが同じようなスタンスで低次元な放映を重ねていたことに深い失望を覚える。マスコミには「報道の自由」と「してはならない見識」が求められる。 しかし、そうした報道を求めているのが国民だとすれば、われわれ国民の見識が低次元であることかも知れないが・・・ 我々を愚弄するようなまねはやめてもらいたい。
報道機関は世論に迎合するのではなく、一歩リードするくらいの見識をもってもらいたい。
この問題はわが国だけのものではないが、欧米では、パニックを助長するような報道はしないよう厳しい倫理で教育されているようである。 人質家族があのような発言をしたことには非難するつもりはない。肉親として心のままを叫んだに過ぎない。 それを報道したことが責められるのである。 心無い誹謗中傷も大人気ないが、悲しみを倍加したのも事実であろう。 その意味であの家族も非常識な報道の犠牲者といえる。 
今や国民の総意を結集してテロの脅威から国を守らねばならない。テロに組するような現在の報道のありかたを厳しく糾弾しなければならない。
しかし、報道機関の人達は知的レベルの高い人が多いと信ずる。 こんなことを外から言われなくても、内部から自省・改革の動きがでてくることを期待したい。

以上
2004-4-23
河村幸二
FDS Labo ( Facility Data Standard Labo. )
kojikawa@a6.ctktv.ne.jp